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吉本隆明さんとの出会い

吉本さんと最初にお会いしたのは、毎日新聞の『教育の森』の編集者長谷川孝さんが、吉本さんに教育について語っていただきたいというところからです。毎日新聞社にて、対談しました。記憶に焼き付いているのは、対談が終わって、帰り際、エレベーターの前で、吉本さんがまだ山本さんは語りきれていないのではないかといわれたことです。そのときのスーツ姿の吉本さんの誠実さにはじめて気付かされたときでした。

 これが、機となって、エディタースクールの吉田公彦さんが、対談集へと仕上げたいと何度か対談がなされ、『教育・学校・思想』となってまとめあげられました。2度目のとき、吉本さんはこうですか、こう理解すればいいですかと、なんどもわたしに確認された、それが、誠意をもった対応で、識者と言われている方たちとまったくちがった対応です。これには頭がさがりました。だいたい皆わかったふりをしてごまかされていくのですが、吉本さんはちがいました。3度目には、吉本用語と山本用語とが反転して、吉本さんが「山本さんの共同幻想は・・・・」というような雰囲気になり、とてもおかしかった記憶があります。

 学生時代、レジュメをつくって、吉本読解を後輩たちと自主学習していた、それはマルクスとともに吉本さんを一番読み、勉強したことです。「心的現象論・序説」は関谷君とふたりきりで、横浜の喫茶店を転々としながら読破していったものです。そして、学生時代、吉本さんのマルクス論は、経済規定性を排除した限界にあると、当時のマルクス・コメンタールや広松渉、平田清明、山之内靖といったウル・マルクス研究に汚染されて批判しており、青山学院大学で、吉本論の講演会をはじめてやり(わたしのはじめての講演は学生の時)、叛旗派から非難された経験があります。そのときから高橋順一氏と知り合いになっています。また、大学人になってから、味岡さんと知己になりました。叛旗派の機関誌は、党派で唯一、わたしたち知的無党派によまれえていたものでしょうか。他の諸派は、あまりに党派主義的で知的にはみたされませんでした。吉本さんも味岡さんを評価されており、唯一党派集会にて講演をされました。はげしい闘争のなかで、わたしたちは吉本さんを読んでいたのです。そして、講演を依頼しようとはじめて吉本宅をおとずれました。玄関の外で、丁寧に吉本さんは対応され、松下昇を読まれたならいいとおっしゃいました。はじめて、お目にかかったときですが、こちらは学生、大思想家を前に緊張していただけでした。マルクスの自然論の意味がわかってきて、自分の理解が浅薄だと自覚しえたのは、対談がおわったあとからですが、完全に理解しえたのは「心的現象論」をアソシエにて一冊にプリントアウトしレクチャーしてからです。「心的現象論」なくして、真の理解はありえないと痛感したときでした。

 学生時代のもっとも尊敬する吉本さんとお知り合いになり、本格的な対話が何度も何度もなされていった、それはわたしにとっての最大の財産です。

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