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2021年5月発売 
128頁 
定価:1,650円(税込) 





 竹笛、横笛を「篠笛」と呼んだのは五世福原百之助が、昭和初期ごろらしいが、定かなことはわからない。女竹からつくられる笛自体には節のない「篠笛」が一般に波及しており、近年、男性から作られる笛に節が入っている「真笛」が少しずつ評判になってきている。他にも石笛、土笛からいろんな笛が日本にはあるが、生身の竹で、身近で誰でも吹ける可能性がある篠笛・真笛に焦点をおいた。「真笛」は、蘭照さんと山口さんが命名し作られた。
 というのも、日本文化の原理である、<非分離/述語制/場所/非自己>を、それは完璧に領有しているからだ。笛は奏者があってこそ、その意味を作用させる、その息の吹き方・鳴らし方が非分離にならないと音が出ない、そして奏者によって、一本として同じものがないそれぞれの笛が多彩な異なる音で奏でられる述語制にある、主体的・主語的では鳴らないし客観的にそれは演奏されない。そして、竹の産地によってまた音の色がかわり、場所の中で吹くと自然との非分離的な述語表出がなされる。笛に合わせ、非自己状態になることで自分らしい音を奏でられる。
 子供のとき笛吹童子の映画を見て、笛のかっこよさを感じ、憧れをもったが、以来、祭りの時、 どこかで演奏しているなぐらいで、笛に実際直面したことは一度もなかった。去年の春、70歳を超えてたまたまテレビでふと見た篠笛の演奏に、自分はこれを吹きたかったのだという記憶が戻り、調べる限りを尽くして、たどり着いたのが、本誌に登場いただいた方達である。奏者もたくさんおられるが、狩野嘉宏さんと山口幹文さんが、誰しも認める究極の双璧であられよう。それはいわゆる、歌舞伎、能、長唄など伝統芸能へ形式化された流派のものや祭りで民衆によって奔放に奏されているものとは、まったく違う〈音〉の地平を開いておられる名人・達人であられる。
 また笛を作られる笛師もあちこちにおられるが、伝説となって今やもう無い「朗童」管以後、横笛の聖地と篠笛愛好者から呼ばれている東金の蘭照さん、そして若手の真摯で気さくな次世代ホープの秀勝さんが、群を抜いておられる(製作過程を、公開可能な範囲で秀勝さんにご協力いただいた)。それは自分で吹いてみれば<音>の質感の卓越さとしてわかる。コロナ禍の真っ只中で知ったため、なかなかお会いできずにいたのだが、やっとお会いでき、いろんなことを学ばせていただいた。
 日本文化の凝集体が、そこにはあるのを、わたしは自分の哲学そのものの具現体として、自分で奏しながら考え、遊び、楽しんでいるのだが、自らの知的資本と情緒資本のバランスが取れているインストルメントであるのだ。一本から十二本までの長さがあり、半音ずつ違う笛において同じ運指で演奏可能になる(正確には違うが、絶対音階規準を意味なしにする力が篠笛にはある)。そして 「数字譜」という音符では無い特有の譜面がある。これが、いわゆる西欧式音楽の世界とは全く異なる可能性を構造化している。三味線、琴、尺八、太鼓など、日本楽器は多々あるが、一番庶民的で 身近に奏せる、たった一本のけなげな笛に、日本総体が凝縮されているのに、わたしは驚愕した。<日本音階>もまた、言語と同じように、明治近代以降侵蝕されてしまったが、これは根源から再考されて然るべき文化資本である。
 60年経って出会えた、この美しい日本文化資本の妙味を知っていただきたく、おそらく日本で初めての篠笛・真笛特集であると思うが、小さなこの竹にこれからの日本の可能性ある未来が凝縮されているのは間違いない。狩野さんと山口さんの演奏は、YOUTUBE で見られる。それを聴きなが ら、本誌の言を読まれ、日本を奏するひとりになられんことを、一つの希望として、ここに供させて、いただいた。
 これからの日本で、文化なきもの、文化を軽んじるものは確実に滅ぶ。その文化の本質の質を具 にしっかりつかまねばならない世界へ突入している。本誌が探索してきたもの、それはただの雑誌づくりではない、既存の制度がなしえない学術/文化/経済の環境生産総体の新たな可能性の開削である。
 書籍内容
笛師 蘭照
真笛・篠笛奏者 山口幹文
横笛奏者 狩野嘉宏
笛師 秀勝

真笛・篠笛の<音>と日本音階と述語制表出の哲学
 山本哲士

述語制言語の日本語とコプラ【連載3】
 「主格」という用語なき日本語文法の試論
 浅利誠

話せる日本語(4)
 仏語原本著者/金谷武洋 英訳/フランス・クルチエ

【カラー特集】
篠笛・笛 
写真 東海林美紀

【ichiko note】
タテ笛の場所
河北秀也
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