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2020年10月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 藤井貞和は、助辞は数千年生き続けるのに、助動詞の生命は500〜1500年をへて終わりを迎えると指摘している(『日本語と時間』)。これが明治期に起きた。しかも言表の繋がりにおいて、この 一つは同時的にデプラスマンされたといえよう。藤井が言うように「き、けり、なつ、たり、り」 などが「た」一つになってしまった。他方、大槻文彦によって英文法からの主語制文法が日本語へ適用され、主語なき日本語なのに主語があると似非文法までもが作られる。文法学者たちはsubjectにあれやこれやの訳語を当てていくが、言表<subject>のどこにも「主〜」なる概念はない。<sub->は 「下、従う、副」など従属の意味なのに(つまり欧米語であれ述部が統率する)。翻訳家たちは、主語・述語・コプラの構文の翻訳に四苦八苦しながら、語を並べてつなぎ合わせるという蘭学以来の芸当をやってのける。そもそも漢文中心でありながら訓読で返し読み芸当をやっていた日本人である。文学者たちは、話し言葉と書き言葉の間の千里の選庭への認識もなく、「です・ます」か「だ・である」かかと言表化の試みを多々なす(つまり述部表現への格闘)。学校で、口語化の教育がなされていく。国語学者・文法家、文学者、学校教師そして法律家も加わって、標準語から国家語=国語への国家資本化が統合的になされたのだが、日本歴史上最大の転換である、<日本語ランガージュの地盤替え>が実行されたのだ。そこで、驚くべきは、近代言説の理論化も認識化もなされずに、移入だけでやってしまった日本人の文化パワーの凄まじさだ。つまり、かくの如き大転換の「転倒」までをもなしえる底力がある、それが数千年蓄積してきた<述語制の文化資本>である。非過去も含め「た」一つになりながら、しかしそこに「き、けり、ぬ、つ、たり、り」の意味作用を無意識に心意表現してもいるのだ。自覚・認識がないだけである。古語を現代語訳できるのだ。
 これは、わたしたち日本人は「日本語」の大転換をもって言語本質とその歴史変容における根源的な問題をこなしているのを意味する。つまり、一種の普遍課題へ欧米とは全く異なる仕方で直面しているのを意味する。本書がそこに直面したのは国際版で吉本さんの良寛論と藤井さんの源氏物語論を英訳したときだ。ネイティブの英訳者は「自分」とは「誰のことか?」と主語を明確にしたいと尋ねてきた。また他の訳者は「〜人来たりて」は単数か・複数かとやはり主語を尋ねてきた。これが、本書が「述語制言語」世界へと踏み出す契機であった。訳しえないのである。先日テレビで<Man is what he thinks he is, man is what he hides.>を字幕で「自分が思う自分は自分ではない。真の自分は奥にいる」と訳していた。<man>は『自分』なのだ、三人称? 一人称? どっち?
 この字幕訳者に全く認識はないであろうが、そうできてしまう。誤訳か意訳かのことではない、 こんな「言語技術」を「知らず」とももちえて使っている日本人の日本語とはいったい何であるのか?
 この様な問題が山のようにあちこちにあるが、はっきり言わせてもらうと、論じえているものは皆無である。部分の問題・課題ではない、日本語総体としてである。自分が話し書く日本語を日本人自身がなんであるか認識しえていないままでは、どうみてもそんな国は滅んでしまう。
 まず、大転換の言語プラチックをなした「言文一致」を対象にした。当事者でさえ「言文一致とは何か」を深く認識していないのに実行してしまう、そこに直面した問題構成を浮上させたい。優れた考察がすでに産出されており、その一線の方々にお願いした(藤井さんには改めて聞き書きする)。 わたしの方から言うと、主語制言語/コプラの獲得と形成への変容をなしながら、述語制言語への取り組みが同時に「考えられえていない」次元でなされているシニフィアン作用の場所があるだろうということになる。言語は本質的に述語表出である、近代言語が欧米であれ人称をともなって主語言語化されていったにすぎない。これを近代哲学でさえ明らかにしていない。示唆的な指摘はある。問題設定が不徹底なのだ。日本語から、世界へ普遍課題を提示できる。
 言語は心身をそして技術を規制する。述語制日本語を探求する「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世はすみにくい。」
--------主語などどこにもない!  と呻きながら・・・。
 書籍内容
▼ 初めに聴覚ありき 野口武彦

▼ 言文一致とテイル 将来の日本語文法のための序説 浅利誠

▼ 明治期「言文一致」再考 二葉亭四迷一「余が言文一致の由来」を読みなおす 鈴木貞美

▼ 翻訳と言文一致との接点 一坪内逍遙・山田美妙・森田思軒 大橋崇行

▼ 言文一致の理論的な配置 山本哲士

▼ 絆、あるいはつながり重視の世界における真正な紐帯 小田切祐詞

▼ 新たな<資本経済>と場所:知的資本としての概念経済II 山本哲士

【カラー特集】
帯の精神
誉田屋源兵衛
写真・文 東海林美紀

【iichiko note】
人が生きる次の場所 河北秀也
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