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2019年10月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 雑草は、強い植物が生えるところには生えない。どこにも生えているように見えるが、人に踏まれても、耕されていても、草取りされても、強い植物が生えない環境に、雑草は生える。そんなことから、雑種文化論なるものがかつてあったが、「雑草文化」論のあることを知った。
 雑草の生態的特徴から、日本文化を論じるのだ。「小よく大を制す」とか「判官びいき」とか、弱者の強さを日本人は好む、それは雑草の特徴にあっているというのだ。弱い雑草が強い植物に勝つ条件は、強い植物が育ちえないような場所、つまり雑草は逆境に強い、ということのようである。なかなかずる賢いような気もするが、巧みではある。オオバコは踏まれるような場所に生える。靴の裏やタイヤにくっついて種子を運んでもらう。草取りをしてもらうことで種子をまくことになる。逆境のマイナスをプラスに転化する。いわば、雑草魂だ。それは、なるほど日本的な文化であるが、日本を単純に一枚岩化する日本文化論はいただけない。
 例えば、日本タンポポは春に咲いて、夏場の雑草が繁茂する前に花を咲かせて種子をまいてしまい、夏の時期は根だけ残して戦わずにやり過ごす、強いものとは戦わない日本の生き物=日本人の特徴だ。西洋タンポポは一年中咲くのだそうだ。撹乱の逆境に耐えて勝ち抜く、日本の雑草である。雑草のように、強いものと戦わずに、日本人は予想不可能な変化に耐えしのぎ、しなやかな強さでしなやかに勝つ、などなどと。
 なるほど、環境に応じて、場所に応じて植物や虫や動物は生存する。その自然界との関係で、同じ生き物でも国が違えば仕方が違ってくる。だが、文化論での大きな誤認は、場所ごとの環境の違いを、その多様さを日本の風土一般へ拡張してしまう、和辻哲学以来の画一的なナショナル文化論の粗雑さだ。せっかくの興味深い研究や考証の成果が、一般化されてしまうのではもったいない。たとえば相手の力を利用して自在に変化するということは、シニフィエではそうだが、自然との非分離の関係を作り述語的作用を場所において働かすシニフィアンがあることが本質である。ここが、これまでの日本文化論ですっぽり抜け落ちている。
 非常に興味深いので、専門の方々に色々聞いてみたいと思った。雑草の生命的な述語性を探り、生存条件の本源を考える手がかりにしたいからだ。個別に総体がある、それは一般論ではない、非常に貴重な高度な考証をいただいた。
ラグビーのWC、大差で負け続けていた日本が、混合選手であの南アフリカに勝ち、いま、世界の強豪と真正面から戦っている、それを重ねて楽しく興奮しながら......。
 書籍内容
▼ドクムギ−種子散布を人間に依存する植物 冨永 達

▼かたかご・すみら・むかご−ことばでたどる民俗植物誌 三浦 励一

▼どちらのハコベ?−人と係る野生植物、雑草の生き方 吉岡 俊人

▼食用作物としてのモロコシの栽培と利用 冨永 達

▼テフ、エチオピアの雑穀 冨永 達

▼主語制言語と述語制言語との対比:文法次元への批判的アプローチ
 山本 哲士

【カラー特集】
北米の風呂と文化 アメリカとメキシコの熱気・蒸気浴
写真・文 東海林 美紀

【iichiko note】
花が咲く場所 河北 秀也
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