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 トップページ >> 書籍紹介 >>本居春庭『詞通路』−述語制日本語をとりもどすためー



2019年4月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 日本語を考察していけばいくほど、一般流布されている文法の転倒にはあきれ果てるのだが、日本語には主語もなければコプラもない。それは論理性が言語表現において高度であるからであって、論理がないからではない。日本語自体の理論的な対象化がなされていないだけのことである。言語形式と論理形式とを混淆させたアリストテレス的論理学の限界を、日本語言語理論は超えていきうる。
 富士谷成章、本居宣長、そして彼らの息子である富士谷御杖、本居春庭、さらに柴田常昭、鈴木泉、東条義門ら、固有の日本語論は非常に重要であるのに、国語学史的に表層配置されているだけで、本格的な研究考察は、ほんのわずかな人によってしかなされていない。文献としても、勉誠社文庫や国語学体系の古本で見られるぐらいで、特に春庭に関しては、活字で見られるのは90年以上も前の昭和2年に刊行された宣長全集の第11巻に収められた「春庭全集」しかない。勉誠社文庫(1977年)は原本の写真版であるから、わたしのような素人には正確に読めない。「詞八街」「詞通路」を学ぼうにもこれではどうしようもないと、手に取れるように本誌で現在に活字化した。今回は「詞通路」を実行したが、近く「詞八街」も活字化する予定である。
 原本で読めと専門家たちは言うのかもしれないが、そういう彼らが解読しえているかというとまったくそうは見えない。渡辺英二『春庭の語学研究』(和泉書院、1995年)や中村朱美の文献考証研究があるくらいで、他にしっかりとなされているようには思えない。誰しもが、少なくとも読めるようにしていかないと、でたらめ日本語文法がまかり通り続けるだけである。
 本誌は「述語制」を概念空間化すべく日本語への一貫した考察を続けており(92号、113号、127号、130号、128号、129号など)、本誌にて連載された二つの画期的な考察が、浅利誠『非対称の文法』(EHESC出版局、2017年)そして刊行されたばかりの金谷武洋『述語制言語の日本語と日本文化』(EHESC出版局、2019年)としてまとめられている。加えて藤井貞和『文法的詩学』『文法的詩学その動態』(共に笠間書院、2012年、2015年)に関するインタビュー(本誌、127号)があるが、この3者が、本格的な日本語文法の考察である。松下大三郎、佐久間界、三上章の系譜的な言説層にある。わたし自身は、時枝や橋本の国語学・文法を認めないが、近代過程で主語制言語へ転換されてしまった間違いを、日本語それ自体の述語制言語へと戻すことが、日本の文化資本・文化技術の普遍性へ近づく地盤となる。これは世界性を持つ考証になっていく。宣長も成章も御杖も全集が古本であれあるが、春庭があまりに古いため、今回の作業へと向かわしめた。英文法の日本語への当てはめは、日本語ではない、棄却すべきである。
 日本人が自らの日本語を見失っている。そのまま、日本文化を論じている時代はもう意味がない。述語制言語の理論・言説を生産していくことからでしか、日本の道は開かれないと断言してよいと思う。それは、ようやく本格的に始まっていきつつある。科学技術においても資本経済においても日本芸術・武術や情報技術においても、述語制は作用している。それを明らかにしていくことは、世界への大きな貢献である。たくさんの外国人たちが日本語を語りえているのに、世界の一流の学者たちがまったく日本語を読めていない、それである限り近代の壁は打ち破られまい。
 書籍内容
▼ 詞通路 本居春庭

▼ 詞のかよひ路序

▼ 詞通路上卷
  詞の自他の事

▼ 詞通路中巻
  詞の兼用の事
  詞の延約の事
  のははりたる詞の例
  つつまりたる詞の例

▼ 詞通路下巻
  詞天爾乎波のかかる所の事

▼ 活表象の述語制:本居春庭(1763~1828)の言説層  山本哲士

【カラー特集】
メキシコ チアパスとオアハカに暮らす人々と手仕事
写真・文 東海林美紀

【iichiko note】
会話の場所 河北秀也
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