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2019年1月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 現在世界を解析するとき、その複雑世界は、もはやフロイトやマルクスの3段階構造ではなされえない。ラカンのスキームは、実に心的構造だけではなく、複雑化した社会世界の構造の解析にも有効な「本質」世界を示している。
 資本主義世界という概念も、問い返さねばならないのだが、多分にそれは産業社会経済と商品経済との合体に規定されているだけで、<資本>それ自体を把捉しえていない。資本は実体ではなく関係である。しかも、社会世界の規範化に多分に覆われてしまって、社会代行為者たちの<賃労働>の生活世界になってしまっている。諸個人は自分の力能を領有した<資本者>であるのに、それを喪失させられてしまう。資本者は資産・資財を所有する資本家ではない、自律した自己技術者である。「資本主義は「儲け」を欲望するが、<資本>は儲けを欲しない、「享楽」へ立とうとして、身を潜める。前者は利潤量しか見ないが、後者は利潤率が必然に下がることを、剰余価値から見ている。利潤量の増大がく必然」に利潤率の進行的退化を相対的に生み出す証明は「資本論」第三巻の焦眉であったが、ラカンの理論は、そこに食い込める。欲望の主体化は、享楽を対象にしている「生きてあること」を喪失し、また欲望主体が果てたところにしか享楽は出現しなくなる。剰余価値は余剰であるが、剰余享楽は欠如である、その逆立を出現させているシニフィアンが、対象aの場所になる。だが、相対的関係性において双方ともに「奪われてしまう」効果を結果するのは、資本と労働が分離されているためだ。自分のことであれ、会社のことであれ、「儲け」を、めざすほど喪失と損失が増す。剰余価値は、資本者が働くことにおいて自身が生み出しているもので、奪われてしまう関係においてはならない。享楽は社会に存在しない、社会は欲望の擬制で充満させられる消費商品社会になって、資本主義さえ忘却して、社会主義的体制と規範でごまかし正統化し、人々のためだと称して去勢された世界をファルス論理でもって補償して人々を欺いていく傾向にある。享楽の初源へ立ち向かうと「不安」にかられる。痛みや受難を被るから、と予防する。<苦痛>による自律性の放棄だ。シニフィアンを不問に付して、シニフィエだけのしかもその一義的世界へ対象を絞り込んで、それを把捉することが知性だと誤認する、大学人言説が生み出したもの。享楽のよすがとしての知の徘徊・流通になってしまい、心的には喪失の、経済的には欠如の、その埋め合わせが生産であると転倒する。
 ラカン的思考は、相対的関係の遡及的思考を要するゆえ、欲望主体や社会主体からの主語的論理からはひたすら難解になってしまうだけで、述語的論理から見ていくと現在世界の「語らい」の転倒は容易に了解できる。本誌の2度のラカン特集は、そこへの一助である。
 書籍内容
▼シュティイン・ファンホイレ----資本主義の語らい、主体性、そしてラカンの精神分析

▼新宮一成----聖人=症候(サントム)は享楽する〜資本主義の語らいに拠るのとは別の仕方で〜

▼山本哲士----「ではない」ことの存在:ラカン理論のsinthomeへ(2)

▼小林芳樹----ラカン的精神病

▼浅利誠----副詞論を通して垣間みられる日本語文法のゆくえ〜発掘すべき世界遺産考序説〜

▼山本哲士----ラカン理論の社会科学的な構成転移

【カラー特集】
西アフリカの手仕事
ガーナ・クマシ周辺の布文化と沿岸部のアート棺桶
写真・文 東海林美紀

【iichiko note】
テレビの場所 河北秀也
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