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2018年7月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





  科学が科学として存立して、科学技術・技術科学が、生活環境の基盤を形成しています。しかも、その高度化された科学世界は専門家たちのみが関与し得るだけで、生活者の自分の位置に書き込まれた客観的拘束性と可能性とを、生活者が関与できないように塞いでいます。しかし、諸個人の情報と認識構造は多分に科学技術に規制されそれに相同して習慣化されている。この科学は、近代世界において<主客分離>の客観的客観主義の、しかも測定可能な世界のみを対象化した因果性の論理でしかありません。環境総体へ関与しえている科学技術ではなく、極めて限定され細分化された科学資本でしかない。
 主観・人間闘、文化領域、社会領域を扱う人文科学や社会科学も、「客観への総合」として分離科学の論理に暗黙に依拠したままです。つまり、主観・主語制様式と客観への総合という二元論分離は、メビウスの帯のように1つの面に配置されたもので、わたしたち諸個人の認知・認識構造を規定してしまっています。予測可能性と可観測性のみを前提にして、そこへの対応のみの思考と行動形態によって、他と干渉しない境界で対象を切り取り測定可能なもののみが客観現実だとする、非生命的システムの把握です。
 それは、リアルタイムでのダイナミックに予測不可能的に変化する無限定な実環境を排除してしまい、「対象それ自体」を見られないどころか、自分を守ろうとして「自分自身」をも喪失するという負の効果(逆生産)を生み出しています。科学が再認の象徴資本として排他的に機能していく状態は、非常に非環境的で非生命的です。人々が知らないで信じている状態におかれている分離された科学です。
 こうした近代客観科学に対して、《矢野科学論》は、非分離の述語制科学のパラダイムシフトを開示して、予測しえない変化をする無限定な生命システム、つまり、<わたし>の生命的生活環境を調和的に生成/充足する自己制御の情報を自らが作り出す場所の科学技術論です。それは、日本の文化技術や日本語そして文化資本の論理・技術を脳理論からも裏付けたもので、わたしたちの思考・行為の本質基盤になっているものの明証化です。
 科学界の科学原理・概念の転換は、述語制言語=日本語の論理と交通していきます。本誌が探求してきた、場所、非分離、述語制の日本文化資本へ対応し、その地盤となる科学技術論です。文化なくして科学も技術もありえない、それはまた文化なくして経済も政治もありえない、そこに対応する述語科学理論の開示です。日本には非常に高度な普遍性の論理・技術があります。行き詰まった産業主義的な日本及び世界を新たに可能性へと開いていく指針が示されます。西欧の近代普遍に対しても提示されていく普遍水準です。
 氏との30年以上にわたる交通から、たくさんの物事を学んできた、そのエッセンスをここで開示していただきました。環境エネルギー問題や情報技術社会が抱えている根源的な転倒を超えていく通道も解析・提示されています。わたしたちの思考・行為のテクストとなる本質的な 考察論述です。この述語制科学のもとで、さまざまな開発がなされていくことです。
 書籍内容
矢野雅文の述語的科学論---サイエンスのパラダイムシフト---矢野雅文
1.はじめに
2.自然科学;客体化された物質世界の法則性
3.生命科学―自律性
4.述語性の科学;情報生成の論理
5.系統発生的に見た生物の適応戦略
6.述語性の科学―適応の脳科学
7.産業革命と科学革命
8.無限成長の翳り
9.実証主義と功利主義
10.情報革命
11.人工知能
12.物質科学から生命科学へ
13.述語性の科学技術―ホスピタリティ技術

【連載】
印欧語は述語制から主語制にどう変化したのか
その7「日本文化のかくれた形(かた)」を可視化する 金谷武洋

【カラー特集】
DIYABUBULA
スリランカの森に佇む水の庭園
水と光と緑が織りなす熱帯の建築

【iichiko note】
SNSの場所 河北秀也
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