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2018年4月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





  このピレネー犬の特集は、大変、評判になった。今回は、ピレネー犬に関わる〈人たち〉の方へ焦点をおいた。(1)(2)合わせてのドキュメント写真である。書くことがなくなったからではない、書かれえていないこと、語りえていないことがまだまだたくさんあるという次元への一つのコミットである。それは、ヒトの述語的な関係世界の本質と存在への新たな考察を開いていくためのものだ。動物や植物、さらに菌類まで、また宇宙まで含めて、科学的考証が多々進められているが、哲学や社会科学・人文科学が、あまりに遅れているのも、実際世界を見られなくなっているためである。一方、情報技術が、機械技術の思考(延長)のままなされているにとどまっている。地球として存在していたことの本質が、つまり、現生人類が存在しえていることの存立根拠が、逆に、見えなくなっているために、〈危機〉が、自然災害や火山爆発などに出現している出来事の中で、身近に感じられ初めている。他方に、安穏とした消費生活の頂点にいたっているような安楽世界がおとずれてもいる。
 だが、動物から見て、その存在圏域が危うくなっていながらも、彼らの本質は、数千年、いや数万年のヒトとの共存や競争の中で変わっていない。それをも変えるほどの変動がきているのかもしれないが、その時は人類の存在の危機を伴うことは、動物史を見ていけば感知されることでもある。
 この考えを探っていく中で、イヌとヒトとの共存が、現生人類の生存にとって関係本質であることが検証されている事ごとが示唆されてきた。〈わたし〉にとって、目の前の犬の挙動とこちらとの関係の共存を観ていて、どうしても語られえないことがあまりに多いことから、一つの自分への明証化として、ピレネー犬のルーツを〈探る〉手法をとってみたのだが、それは個人趣味のことではなく、ネアンデルタール人の絶滅の、類的問題にまで至ることになった。一体、なぜ現生人類=ホモ・サピエンスは、過酷な環境を生き延びて、かくも巨大な人為的世界を作り上げてきているのかだが、その理性や知性の賢さは、動物や植物の賢さに優っているとは言い難いものがあり、しかも、未だ家畜化された動物に依拠し、犬や猫などを「愛でて」い続けるのか、そこで何を人類は原初で享受したのか、その原初を忘却してしまったことから、どこで道を誤ってしまったのかということだ。現生人類=ヒトはイヌと協働関係を結ぶことで、イヌとの共存を図れなかったネアンデルタール人が絶滅しようとも、生き延びてきた、という見解はただの仮説とは思えない闘にあって、〈述語制〉の言語問題は、生命環境の本質問題にまで不可避に及ぶことになっているのだが、動物哲学は、そこに未踏の問題をこちらへ突きつけてくる。自然哲学、近代哲学では解消えない閾が、しかし、人類=ヒトの智慧と情動として、実際に果たしてきたこととしてある。特集内で紹介されるGerald 氏の存在は、その本質の存在ではないだろうか。
 次のしかるべき機会には〈植物〉について考察を進めてみたい。そのとき、動物・植物で、こだわっていくことはあくまで述語的な〈直接性〉である、実体ではない〈関係の存在〉である。
 書籍内容
▼ 動物哲学と動物の文化学へ(2) 山本哲士

▼ ピレネー山脈の放牧文化とピレネー犬(2) 東海林美紀

【連載】
印欧語は述語制から主語制にどう変化したのか
その6 述語制の視点が解明できる印欧語中動相の機能 金谷武洋

【カラー特集】
日本のピレネー犬

【iichiko note】
動物と人間の場所
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