文化科学高等研究院出版局(ehescbook.com)の書籍を紹介するページです。
 トップページ >> 書籍紹介 >>和時計の文化技術



2017年1月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 場所時間と社会時間は違う。
 日の出と日の入りとは、場所によって違う。なのに、ある特定の圏域において画一的な同じ社会時間が設定される。人や物の交通や流通において、時間が異なると不都合だからそうしたように感じとられているが、それ以上に、近代国家が国家の統一と普遍化をなすために、社会時間としての統一は不可避であったからだ。時間が、生活時間から離脱して、統治される時間へと転じられた。この社会時間の空間は、一見便利なようだが、身体においては窮屈で異様なものになっているのを、誰も気づかなくなっていく。学校での時間割、これも機械的に区切られた時間で、有機的な学ぶ行為の時間ではない。等分割の同じ時間の統治のなかに子どもたちが配備される。賃労働時間へあわせていくための予備訓練だ。
 菊野昌宏さんの和時計考察を、さらにすすめていただいた。この和時計の文化技術の機械化は、あまりに見事である。そして、菊野さん自身による計算やその技術具体化は驚愕的である。初期の織機もそうなのだが、機械が、まだ非分離の述語技術でつくられていたときは、非常に高度である。
 日本語に時制はない。だが、「とき」を敏感にキャッチしている言語表現が多々ある。しかも、述辞でそれを示す。この日本語の時間論があるようでない。絵巻物は時の流れを同じ面に表現する。ときを止めているのに動いている。場所が、「とき」を示しているのだ。場所は、客観的な静態した場ではない、動いているのが場所である。よく観察してみると、社会空間は時刻があるが、時間がない。「間」がなくなっている。社会生活を場所生活に配置換えすると、人びとは元気になっていくはずだ。社会設計に代わる場所設計をビジョン化していくことは、非常に大事であると思う。
 現在に辿り着いた可能性だけが唯一の可能性だとされてしまい、その過程で多様にありえた他の可能性が排除され、思考や記憶からも消しさられてしまい、他の可能性がありえないとされてしまっている先進国である。
 日本語、日本の伝統技術、日本の芸術、日本の着物、こうした文化資本は、根元的に述語制の文化技術である。その資本は、はかりしれない他の可能条件をもっている。認識の仕方、知覚の存在の仕方まで主語制化・客観化されてしまった分離の果ての結果を、いまや、見直して、他の可能性をさぐりあてて活かしていくことだ。
 書籍内容
【インタビュー】
▼和時計の歴史と研究
佐々木勝浩 聞き手:菊池昌宏、編集部

▼日本の時計作り
菊野昌宏

【インタビュー】
▼深遠なる和時計--------江戸時代の生活時間を刻む機械式時計
岡田和夫 聞き手:菊池昌宏

▼和時計の精度
菊池昌宏

【連載】印欧語は述語制から主語制にどう変化したのか
●その4 主語制言語と述語制言語日本語の違いを視点論から考察する
金谷武洋

【連載5】
空間表現(ニ)「格助辞システム」の普遍性
浅利誠

【カラー特集】
和時計図録

【iichiko note】
完璧な時計の場所
河北秀也
<書籍紹介トップに戻る>