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2016年10月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 近頃、かなりはっきりと、経済や政治などより、言語や文化のほうがはるかに普遍的な本質であることを実感する。そんなことは当然だと、頭で知っていても、現実の経済と政治の二十世紀の残滓は、まだ力をふるっている。すると、詩や文学や芸術は、余暇の逃避であるかのようにただ消費されるか、稚拙な芸術生産が、創造であると錯誤される。近年の詩も小説も、まったく読まなくなっている。力を感じとれないことが、先にきてしまっているからだ。
 ことばが、力をもたなくなっている、映像の方が力があるかのように振る舞っている。そんななかで、言語や文化の力の本質を感じるというのは、どうみても、わたしたちの前の時代の人たちにたいしてなのだ。さらに若沖展など見てしまうと、いったいこれ以上のものがどこにあるのかと、驚嘆し嘆息する。
 中也や、吉本初期の詩や石原吉郎、清岡卓行らの詩で、太宰や石川淳や安倍公房らや大江初期の小説で、わたしは止まってしまった。かすかに『白鯨』同人の詩が最後であった。マルケスの小説やパスやそして今回紹介されるサイードの詩で、止まってしまっている。「詩」はもうやって来ない。
 述語制言語を対象化していく途上で、不可避に、吉本共同幻想、フーコー、ブルデューの国家論へ寄り道せざるをえなくなり、その三部作を自分なりに仕上げていった効果として、政治も経済も主であってはならないという閾へあらためて個人的にきてしまったのだが、<いま>それを凌駕するものが何も無い。詩学や言語理論が、くっきりとないからだ。阿波弓夫が、ガブリエル・サイード特集を組みたいと希望した、そこには、砂漠のなかでの泉という無いものを手探るうごめきがあるように思う。
 一方、金谷氏、浅利氏の日本語論は、ますます深化して、確実に新たな通道を開いていく水のうるおいの回路となってきている。
 文化の資本を、真に蓄積していく段階に入っている。その象徴的資源を集約していく水準をつくっていかないと、政治は道をはずし経済も衰退する。それは、主語制様式の述語制様式への文化転移からしかはじまらない。サイードの詩に人格主語はまったくない、スペイン語もまた述語様式を保持しえている言語系にある。
 書籍内容
▼ガブリエル・サイード---------言葉のもとの自由な詩人
阿波弓夫

▼ガブリエル・サイード詩選集
激しさと透明さと
訳/田村徳章

森の中のさざめき
訳/高橋早代

浜辺で賞め賛える
訳/田村徳章

変貌したダンス
訳/平山誠

海が見える窓
訳/松山彦蔵


訳/阿波弓夫

オレンジ色に染まるシエスタ
訳/山口羔正

騒擾
訳/西村英一郎

神の顕現
訳/中野達司

▼ 二つの非文化
ガブリエル・サイード 訳/西村英一郎

▼ 付託されたもの
ガブリエル・サイード 訳/阿波弓夫

▼ 後悔のない愛書家の方々へ
ガブリエル・サイード 訳/白畑満美

▼ モラルの進歩
ガブリエル・サイード 訳/西村英一郎

▼ 詩の試行の語り
アウレリオ・アシアイン 訳/阿波弓夫

▼ ホセ・フアン・タブラーダのハイカイ集
『ある日・・・』における日本の俳句の影響
太田靖子

▼ 日本のパス、もしくはRENGA
日本におけるオクタビオ・パスの思想的影響(前編)
阿波弓夫

【連載4】
空間表現(一)「場所・格助辞・動詞」システム
浅利誠

【連載】印欧語は述語制から主語制にどう変化したのか
●その3 主語制言語と述語制言語を繋ぐ連続線
それぞれの典型として英語と日本語
金谷武洋

【カラー特集】
アフリカの明暗、原風景のなかの葛藤
写真・文/エンリケ・モヤ
訳/阿波弓夫

【iichiko note】
バハ・カリフォルニアという場所
河北秀也
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