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 トップページ >> 書籍紹介 >>日本語言語理論の革新へ-藤井貞和をうけて



2016年4月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 藤井貞和氏の『文法的詩学』『文法的詩学その動態』に関するインタビューを本誌127号にて果たしたが、氏の書は日本語を根柢から見直して、混迷する日本語を導いていく新たな確たる指針になっている。藤井文法詩学をうけて、日本語の言語理論に対する革新がなされえていく、その踏み出しがはじまったのだ。膠着した文法にたいして、コトバの規則性とその表出様態は「詩学」と銘されたように、言語表現総体への見直しとなっていくもので、品詞分類された単文の正当化の膠着性におとしめていくことではない。学校文法の過ちは、国語関係者たちはほとんど知っていることであるにしても、言語を文法化する限界の問題があるのであって、日本語それ自体を対象化して理論化していく言説はまだ未踏の閾にある。記紀・万葉表記から、手爾波から語法、そして五十音表と漢字仮名まじり文となった日本語一三〇〇年を、言語理論として形成していくことは、一般文法の表象体系と近代文法の主語制言語様態とを離脱して、述語制言語様態の理論と実際をあきらかにしていくことであるのだが、藤井文法詩学を指針にして、契沖、賀茂真淵、富士谷成章・御杖、本居宣長、鈴木朖、柴田常昭、そして春庭、さらに義門らの言語言説をもういちど探り直し、さらに近代文法における山田孝雄、松下大三郎、佐久間鼎、三上章らをクリティカルに捉え直し、橋本進吉・時枝誠記らの転倒的限界を超えていくことにある。
 言語は、剰余の表出に置かれており、対象として客観化したときつねにこぼれだすものとして客観的総合化はなしえない界閾にあるが、「まっとうな」日本語の本質相を了解領有していかない限り、日本の新たな未来は開けない。ありもしない「主語」に行為や思考を従属させていくことは、利益に関わりない「売り上げ」目的によってコスト削減することが経済だと転倒して、資本の力と剰余価値(率)の臨界を忘却していることに通底している。資本喪失の商品経済物象化の根柢には語学物象化が潜んでいる。まちがった言語活動がまちがった経済活動を派生させている転倒からはやく離脱して、真の日本の文化パワーと普遍性を、特称化(ナショナリズム)させずに開いていくことだ。前言語段階から言語過程へ成長する人類は、鰓腸と泌尿系とを分離して男女形成へと入っていく、そこからランガージュの言語編成が文化差異において類別化していくが、「こころ=内臓系と感覚=体壁系」(三木成夫)とがおりなす自己表出と指示表出の「大洋」(吉本隆明、本誌39号)の織り目の底に、述語表出を普遍編成しているのだ。日本語は、そこで形容詞を「活詞」させ、かつ助辞・助動辞の述辞表現において多彩化している。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」(夏目漱石『草枕』)なる主語無し表現文をわたしたちは了解できる。主語を必要としないで思考・表現・行為をなしうる文化の普遍をさぐりあてていくことだ。日本人として自らの日本語をちゃんと説明しうるようにならねばならない。さらに藤井貞和氏による「文学の源流」を探る考察は、文法詩学とともに、わたしたちに貴重な「日本」の見直しを迫っている、いずれ改めて藤井貞和特集を組んでいきたい。
 書籍内容
▼詩的言語の発生をめぐって----- 文法的詩学の射程
安藤礼二

【連載2】
▼言文一致体成立「以後」の日本語の時間表現
浅利誠

【連載】
印欧語は述語制から主語制にどう変化したのか
● その1 提題文に見る述語制と芭蕉の改革
金谷武洋

▼〈人物〉と〈人格〉----- 人称と主体性
福沢将樹

▼述語制における〈述辞〉の理論:藤井貞和「文法的詩学」の潜勢力から
山本哲士

【自著を語る】
『日本文学源流史』
藤井貞和

【カラー特集】文化技術
伊勢型紙

【iichiko note】
季刊iichiko130号の場所
河北秀也
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