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2014年1月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 富士谷御杖(1768-1823)が、「いふといはざるとの間のものにて、所思をいへるかとみれば思はぬ事をいへり、その事のうへかと見ればさにあらず」と言葉の働きをのべているのだが、語られていて語られていないもの、考えていて考えられえていないものに、「穴」がある。その穴に潜んでいるのが、〈もの〉である、というのが日本文化の本質に在る。宣長は「物のあはれ」を説いたが、〈もの〉そのものについて論述はしていない、むしろ「言」「事」「心」として〈もの〉を分節化してしまっている、それでいて〈もの〉の閾を背負っているのだ。
 俵屋宗達の「松島図屏風」は、屏風であるゆえジグザグになって置かれる、それをある角度から見ると2本の松は1本の松に繋がっている。描いていないことが描かれている、それは〈もの〉を描いているからだ。尾形光琳はそれの右幅だけを模写している。そのとき〈もの〉をある閾で拾象して図案化しているのではないか。〈もの〉としてつかむことはどこか保持してのことで、実際模写ではない。北斎の滝の水も、実写ではない。(本誌目次頁にて掲載)
 狩野派の絵も、琳派も蕭白も若沖も浮世絵も、写実のようで写実ではない、〈もの〉を彼らはそれぞれの閾でよみとって描きだしている。司馬江漢らの洋画と比べると、実写的な洋画の冷たさ、味気なさにたいして、それらはなまめかしくまたダイナミックであるのも、見えない〈もの〉をつかみとっているからだ。本質的なデザイン感覚とは、〈もの〉を描き出していくことにこそある、形や色のごまかしではないデザインが本物である。
 「物かなしい」「物さびしい」と今でも言うが、それは「さびしい」「かなしい」とはちがう。〈もの〉は客観でも主観でもない、そこを感じとってそう言っている。接頭語などではない。
 日本文化は、〈もの〉の文化である、視えない触知しえない〈もの〉までをもキャッチしえてきた文化に在る。それは客体的・実体的な「物」体の世界ではない、道具になった物体的なものでさえ〈もの〉の表出や作用をもちえている。これらを、わたしは〈物ぶり〉として、「身ぶり」と照応させながらくくっているのだが、〈もの〉が述語的に動きをもっているのだ。日本の文化技術や言語技術は、それを体系的につかみとるものになっている。
 ホスピタリティが〈もの〉の閾における非自己技術の表出であると感知してから、〈もの〉の心性の日本文化の探究へと歩みをすすめているのだが、それを多様な世界にさがしあてていくべく、その基本・基軸となる理論言術をまずは示しておくことにしたのが本号である。西欧ではカントが「物自体」を論じえないと論じ、ラカンはDingを無意識、対象aにおいて、トポロジー的な「穴」において布置していた。
 洋の東西において〈もの/Ding/thing/chose〉に関して哲学思考は働いているのだが、日本文化ほど〈もの〉において創造表出されたものはないといえるほど、わたしたちは見えないものを見、触れないものを感知しえている、聴こえない音までも聴いている。ここは、普遍閾にある、その理論言説がないだけだ。〈もの〉を見失った日本近代哲学の権化が和辻哲郎であり、その系譜であるが、国学の言説の構成のなかで〈もの〉は感知されながら、語られえない閾へとおかれてしまった。しかし、それは神武天皇の后の父が「大物主」から「事代主」へと転移された古においてすでにはじまってはいた。
 〈もの〉が、「モノ」として物体的な「物」に転移されてしまっている前提に立つと、心の布置が「コト/事」にあるとされ、日本文化ならざる商品文化世界が日本であるかのように論じられてしまう。これは転倒である。言語も〈もの〉を表象しているのに、「事=言」と転倒されてしまう。〈もの〉を出現させること、〈もの〉をつかみ取っていくこと、その探究を本誌は始めていく、その理論基準を本号では示している。
 書籍内容
▼〈もの〉の日本的心性
  −哲学思考の基盤draft 1− 山本哲士

▼ I「もの」の言表と哲学理論
  0.物を思う:石川啄木の歌
  1.「もの」のことば学:日本語表現にみる「もの」
  2.「ものchose」の理論閾:ラカン・宣長・西田幾多郎
  3.「もの」と「こと」の哲学の顛倒的落とし穴:廣松渉
    /和辻哲郎の言語哲学への批判とカント
  4.折口信夫の「もの」

▼II「もの」の述語哲学へ:「もの」と非自己閾
  1.述語制と判断:日本語の論理性
  2.述語制の論理学へ向けて
  3.西田の場所論と直観論

▼III欲動・享楽と「もの」の心的述語制
  1.欲望の構造と「もの」
  2.「エス」と述語制、そして「もの」:無意識論を超える布置
  3.欲動と享楽の論理と「もの」
  4.述語制の《もの》

▼【カラー特集】
ピレネー山脈におけるピレネー犬II:動物哲学へ

▼【iichiko note】
祗園という場所 河北秀也
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