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 トップページ >> 書籍紹介 >>文化のことごと−存在の本質へむけて−



2013年10月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 





 文化がいよいよ大きな意味と力をもつ時代へとなってきている。
 大転換期が、本格的になってきたのだと思う。
 こういうとき、文化をアクチュアリティのほうへ急速に近づけて、動きへとはいっていくか、それとも、もっと根源にまで深く沈潜して文化の力をさぐっていくか、その分岐に直面する。本誌は、躊躇無く後者を選ぶ。それが、前者の動きが、軽みへすべらないことへ寄与していくと信じるからだ。ある意味、そうすることで、動きへの可能条件の道を開いてきた本誌である。ホスピタリティが、おもてなしと並んで連呼される時代を、本誌はどこよりもさきがけて、切り開きつつその地盤をさだめてきた。それを、たしかなものにする、西欧的なものとアジア的なものを、民俗・心性・環境から「社会なるもの」へのクリティカルな考察の先へと探究してきた。日本の深い文化技術の閾は、ずっと20年以上にわたってさぐってきた。
 世界が変わるとき、言説の生産が、それをリードし、たしかなものとする。その言説はまだまだ不十分であり、近代の黎明期に比してあまりに少数である。情報過多のなかで、文化の本質を領有することは、まだほんの一部にしかなされていない。起源への回帰ではない、思考されえないものへのまだまだ深い沈潜が要される。価値や意味へと表象される次元に、文化はない、もっと深くにあるものだ。言語にひそみ、身体へと構成され、心的なもの、情動・情緒、感覚にはりついている。それを〈もの〉であると感知しているが、〈もの〉を対象へと理論生産したとき、こぼれおちてしまうものに、どう近接していくかである。分離された自然へ帰ることではない。古代からみると、近世の言説はあまりに過剰であり表層である、アジア的、ラテンアメリカ的なものからみると、西欧的なものの精緻さやアメリカ的なものの技術的先端性は、あまりに小さい。わたしたちは、まだまだ、古典や世界から学んでいかねばならぬことがたくさんある。
 マルクスは、人間は社会的諸関係の総体であるとしたが、わたしたちは人類・生命は、文化的諸関係の総体であると言い換える。しばし、認識や理をこえるものの閾へと静かに沈潜していくことにしよう。近代西欧的な枠組みは、もうはずしえた。ひたすら、存在の本質へと歩んでいきたい。それは、享楽の閾、感覚の愉しさの閾にある、古来からかわらぬものにある、水のやさしさと怖さにふれてあるもの、生死の境界のかなたにあるものだ。小さな文化として生存にきざみこまれて有る、一輪の花の幻の彼方にある。子犬をだきしめる、そのぬくもりのなかにある、などなど。この「等々」を、たしかな手触りにおいてさぐっていくことだ。
 書籍内容
▼『孤独の迷宮を読む』
  −オルテガ、大江を手がかりとして− 阿波弓夫

▼ ピレネー山脈におけるピレネー犬
  羊とコンビビアルに生きる 山本哲士

▼【連載 中村三春のテクスト文芸学 第7回】
  Monsterと「獣」のあいだ
  −英訳を参照した村上春樹短編小説論− 中村三春

▼《情動性》という述語性の想像界 楠元恭治

▼【BOOK Review】
 「国つ神論:古事記の逆立解読」 高橋順一

 「資本主義の新たな精神」 三浦直希

【カラー特集】〈黄八丈の文化技術〉
黄八丈 自然資本と文化技術

▼【iichiko note】
料理の場所 河北秀也
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