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2013年4月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 
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 吉本隆明氏がなくなられて一年。今回は、文学論として特集をくんだ。文学思想や文学理論が新たに開いていく意味を何回かにわたって考究していきたい。
 吉本文学論は、思想的な文学論として、まったく異色な批評閾をひらいてきた。文学研究の側からはものたりないものがあるかもしれないが、含蓄されているものは、文学批評や文学研究がなしえない深身を展開している。それは自分が生きていくうえでの指標にさえなるものといえる。吉本本質思想は、ある意味外在的であるが、文学論は自己幻想にとどく内在的なものである。しかし、〈蕪村−一茶〉の詩の閾から近代国家が形成されていったなら、いまあるものとは別物になっていたであろう、などという示唆には、どきっとさせられるだけではなく、より明確にさらに追究していきたいものとして考えさせられる。吉本さんしかなされえない示唆のまま、残されたものはたくさんある。
 文学は、言語の物質性を基盤にしながら、想像的表出が多様になされていく。それを解釈したり批評したりする多様性は、さらに拡散していく。そこを不可能さとみなすのではなく、可能条件の考究として道筋をつけていくには、吉本文学論をひとつの基準にしていく事が要される。ポリティカルな規則性へ還元するのではない、文学からしかせまりえない閾が、たとえば「非自己」界などは、そこにある。アンガージュマンでは、貧困すぎる。そこに拘束されない文学力はあるのだ、という位置を本誌は理念的にもつ。
 なぜ吉本思想は、西行、実朝、源氏物語、良寛、そして宮沢賢治、高村光太郎、島尾敏雄を選んだのか。漱石論は、なぜひとつにまとめられえない位置をもったのか。太宰をどうして相対的に対象としなかったのかなど、した事やしない事にまで、意味が噴出するのが思想家のなせる業である。これらは考えるに値する事だと、私はおもっている。そのためには、まず吉本文学論を読み直していく事であり、いままでの論者たちと異なる若い方たちからの考証を、考えを深めていくうえでの手がかりとしていきたい。
 日本で、1960〜70年代、批評は大きな深い飛躍をなしとげ多様なものを産出したが、批評理論が形成されえていないため、浅薄な批評が波及してしまっている。世界水準の文芸理論形成と同時的に、吉本の思想的文学論が言述されていた、それを同時的に高度な位置から再考していくことを、本誌は探っていきたい。これを機に、社会科学的な考究からはなされえない、文学からの迫りをすすめていこうと考えている。それは、宣長以来、停滞してしまった「詞(ことば)」と「意(こころ)」の非分離な述語制の閾にある文化の相である。「情」は主体にはないことを、日本は開いてきた。と同時に、対幻想が共同幻想にからめとられる閾の強さがある。ここを切削していかないと、愛と生命の合理性の閾は開かれまい。〈初源〉を現在に問う事である。
 書籍内容
▼【対談】高橋順一×山本哲士
  吉本隆明の古典文学論:歌と幻想の「初源」

▼ 吉本隆明の初期文芸論における「自然」
  −『高村光太郎』を起点として− 中村三春

▼「愛読・転向・戦争」
  −吉本隆明の太宰治− 高橋秀太郎

▼「吉本隆明における島尾敏雄論の布置」 山崎義光

▼「文学を引き裂く」−吉本隆明の芥川論− 森岡卓司

▼「太宰治・敗戦・田辺元」 山崎正純

【カラー特集】〈能楽の文化技術〉
喜多流 能衣装と道具

▼【iichiko note】
場所のネーミング 河北秀也
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