吉本隆明さんが3月16日に逝かれた。本誌の制作途上で、その訃報が届いた。
私が世界でもっとも尊敬する思想家である。本誌でも、何度か特集を組ませていただいた(「吉本隆明の文化学」39号、「吉本隆明の文化学II」65号、「吉本隆明の『心的現象論』了解論」94号)。本号の前田氏と高橋氏との対談でも、多々吉本さんに触れている。特に高橋氏との対談は、真正面から吉本思想の世界的な普遍力を論じあったものだ。高橋氏とはよく二人で吉本さんの家にお邪魔し、何度か鼎談もした。吉本さんにお礼したいという気持ちで、私たちは自分の仕事をしてきた。
吉本思想は、世界的な普遍力を鋭利にもっている。言語表出論、共同幻想論、そして心的現象論は、20世紀において世界最高峰の思想的遺産である。これ以上の深みにあるものは、世界にはない。論理的な緻密度ではない、思考が届く深みである。文学批評や古典論など、また現在情況を本質からとらえた考察、その固有さは日本で類をみない。私は、吉本さんの思想力に対応しうる理論作業を自らに課して、その概念や論理が浮足立たない仕方をとってきた。西欧の真似ごとでは対抗しえない、自分へ領有し、自分の論理・理論として構築していかないと交通しえない。それを自分なりにやりきっていたゆえ、氏から容認されえたとおもっている。
思想家として、日本最後の方であった。お人柄に直接ふれた人たちは、その厚さに皆、敬服している。何十回も吉本宅へうかがったが、いつも玄関先まで丁寧に送って下さる。それが、近年できなくなっていた。私なりに心的な準備はしてきたが、やはりもうお会いできないかとおもうと、悲しい。とても聞き上手なお方だった。こちらがまくしたてることを、頭をたれてじっと聞き入り、咀嚼されて、本質から突き返してこられる。それが刺激となってこちらもまた突っ込んでいく。この知的な刺激は、なんどお会いしても毎回ある。真の交通がなりたつのだ。何時間も、時間を忘れて討議し合った。吉本さんとの最初の対談集『教育・学校・思想』、そして『吉本隆明が語る戦後55年』の全12巻、さらに『心的現象論 本論』の刊行、この大きく三つの仕事をきちんと残せたことは、私にとってあまりに大きい。30年にわたる、吉本さんとの交流である。『吉本隆明の思想』をすでに記したが、「文学思想」論もいずれ書き上げたい。私がそれなりに世界とたちうちできたのは、吉本思想があったからだ。日本で世界にたちうちできるのは、西田哲学と吉本思想でしかない。あとは日本特殊があるにすぎず、その特殊もこの二つの思想・哲学をもってしか対象化できない。そこに新たな地平がようやく開かれる。「西欧的なものの限界 日本的なものの可能性」、それは吉本思想を規準にして推し量っていくことができる。「国津神」と「つつましやかな資本」について議論できる機会が訪れなくなったことが、何よりも悔やまれる。ただひたすらの感謝である。偉大さは、身近にこそ在る。合掌。
編集・研究ディレクター 山本哲士
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