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2011年10月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 
  




 武士制を探っていけばいくほど、武士制が日本といわれるものの原基であるというようにおもえていく。
 古代は、まだ、日本の領域にはいろいろな種族や民族(といっても近代的に画定されたものではない)がいりみだれていたようにおもえるが、武士制において日本的なものへ純化しかつ固有のものになっていったように見える。箸も風呂敷も下駄も、現代のわたしたちが使う物は、武士制において確定してきている。戦国時代は、どこのクニが純粋日本の担い手になるかという闘いであったようにおもえてくる。もちろん、まだ場所制であるのだが、そのうちのどの場所が日本=天下を握るかであり、かつ逆にその天下取りから自分の場所を守りきるかであったとおもわれる。場所制のない秀吉が天下を統一し、強引に朝鮮半島へ進出していったのも、たんに武将に分け与える土地がなくなったからの領土拡大などという物理的なものではあるまい、純粋日本化の外部性への反作用による純化であろう。
 熊本を訪れた。熊本の加藤清正が忠実に秀吉につかえた、その虎退治の逸話は、勇猛な虎=他民族を制覇する象徴であったのだろう。熊本のある祭りは、他国を滅ぼすという批判のため消えた。
 熊本の島田美術館で、武蔵が使ったといわれる二つの剣をみた。一方の無銘金重は、若きときに使ったとおもわれる強靱な剣であり、他方の大和国住国宗は晩年の柔和な剣であったのだろう。
 わたしたちは、武蔵にまた日本の剣術に、西欧的近代を超えていく可能性、つまりデカルトの二元論とは異質な非分離の一元論の述語論理言述をみようとしている。新たなこれからの設計原理の指針が、日本にあるとおもえるのだ。言説としては、柳生宗炬の『兵法家伝書』において主客分離言説表象となっていく。剣術家によると、武蔵との違いは無いというが、言説は明らかに異なる。対象が日分離の言説(五輪書)と分離の言説(兵法家伝書)とのちがいになっている。
 武蔵もまた新陰流も領有しえている〈前田剣術〉は、江戸時代であったならおそらく「前田流」の看板を掲げえたであろうが、しかし氏は、流祖のなかでも上泉伊勢守の原基を非常に重視し、そこにすべてがあると謙虚にみなしてそれを固有に自己領有しようとしているゆえ、流派を名乗る愚行へは走らない。しかしわたしは、氏がソシュールをはじめ西欧思想のある原基を知っている研究者でもあるゆえ、氏の剣術の技には固有のものが形成されていると、みている。同じ西欧思想にくみし、その限界を肌で互いに知っている者同士の交通である。「哲学」を武術と日本をふまえて、次には語り合うことになろう。
 武士には場所日本があり、剣術には新たな哲学設計の指針となる理論閾が潜在している、それは既存の認識スキームからではみえてこない閾にあるのだ。
 書籍内容
▼ 宮本武蔵『五輪書』の思想 魚住孝至

▼ 柳生宗炬『兵法家伝書』の表象閾 その(1) 山本哲士

▼【特別インタビュー 前田英樹】
  新陰流にみる、武術の非分離性------原理とその身体技術

▼【連載 中村三春のテクスト文芸学 第4回】
 太宰・ヴィヨン・神 中村三春

▼ 水中のミュートとブレス------太宰治「秋風記」 大國眞希

▼【カラー特集】
  〈日本剣術の文化技術〉新陰流

▼【iichiko note】
  熊がいる場所 河北秀也
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