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 トップページ >> 書籍紹介 >>武士制の文化学 PART-3



2011年7月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 
  




 日本の剣術には、日本の文化技術が、すべてこめられていると思える。
 1対1で、相立ち向かい、そこを非分離につくりだす術は、生死をかけながら、しかし、相手を殺さずにすませる活人の方途が構造化されている。太刀をかまえあえば勝負がわかってしまう所まで、磨き上げられた術である。たんなる防御と攻撃の、分離された剣ではない、日本固有の剣が産み出している創造の閾がある。
 日本の原理が、非分離、述語性、場所にあることは、言語や道具の文化の在り様からつかみだされたものであるが、日本の剣術に、それは集約されている。といっても、それは剣道ではない、上泉伊勢守から、柳生石舟斎/宗矩、宮本武蔵までの剣術である。武士制の頂点に出現し磨き上げられた術である。能や水墨画へ、芸術化される術の基本が、そこにある。それは、身体技法から作法にまでおよびうるが、道という個人へ統轄される精神的なものではない。術の動きとして、述語的に作用するものだ。そして、場所なき、動きにはならない。
 宮本武蔵の言説は、同時代のデカルトの分離言説とまったく対照的に異質の、非分離言説となっている。日本の哲学原理の根元が、そこにはある。これを、生き方にしてしまったとき、術の深みが見失われる。剣術の術理は、武士道とはまったくちがうものである。
 武士の文化は、多々評価や裁定がプラスにもマイナスにもなされるが、わたしたちは、現代に生かしうる武士制の存在意味を、しっかりとみいだしていきたい。それは、事実であるコトを、いまいちどつくりかえしていくことにある。理の奥にある「妙理」をみつけだしていくことだ。
 剣術の哲学と術を見失った日本人は、産業的に愚かな事をしてしまっている。道としてではなく、技術としてワザ・術の「心」として、それを取り戻すことだ。まだ、消え去ってはいないし、身体としてもわたしたちは、とりもどせる位置にある。
 1000年に一度の悲惨な津波災害におそわれ、史上最大の原発事故に日本はでくわしてしまった。東北人のねばり強さに、日本が失っていた「心」の深さに気づかされた。心は、場所にある。
 日本画一的な空間の設計は、心の環境を崩壊させている。いまこそ、場所を見出し、美しい場所の存在から学ぶことで、日本を作り替えて行く時であろう。
 そのとき、剣の術は、いろいろな示唆を供してくれる。科学技術の発展にとっても、意味ある技術哲学がある。「手」にさわりうる術である。農民、漁民とともに在った武士、その剣術、文化は、偉大である。悪しき統治もあったろうが、真の統治もそこにある。さらに武士と剣術とアートを場所において探究していきたい。次回は、宮本武蔵の特集をくんでいく。
 書籍内容
▼ 前田英樹インタビュー 宮本武蔵の剣と言説

▼ 戦国時代の侍と百姓 黒田基樹

▼ 神話の中の武 酒井利信

▼ 武術の述語技術と武士道の違い(2)

  剣の非分離表出をさぐる 山本哲士

▼【連載 第4回】
  矢野雅文の「非分離の科学」の頁IV 矢野雅文

▼【連載 中村三春のテクスト文芸学 第3回】
 〈原作〉の記号学----『羅生門』『浮雲』『夫婦善哉』など 中村三春

▼【カラー特集】<和紙の文化技術>
  石州和紙

▼【iichiko note】
  日本人の場所 河北秀也
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