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2011年1月発売 
128頁 
定価:1,500円(税別) 
  




 武士制とは、武士とその時代の人々が歴史上、独自に構成した制象をいう。
 道具、技術、アート、そして法や統治制などの総体である。それが、いかに律令制や近代と異なっているか、さらに、場所に立脚した制象であることが重要な規準となる。制度までは構造化されていない、目に見えない心意や象徴閾までをみていくことだ。実証化しえない閾が、大切な想像的場所の武士制となる。厖大な歴史研究書にひろわれた史実のはざまに隠れている多様な出来事がある。この出来事の非連続が、ある連続した制象をおりなす。
 現代でも、武士制の記憶は残存している。近年の武士ブームは、そのひとつの現出であって、たんなる流行ではない。近代が、ある行き詰まりになっていくとき、おのずから自らの場所存立への郷愁が、武士への関心をもたせてきたのではないだろうか。武士の、命を賭した生き様は、古来から日本人の共鳴をうけてきたが、いかにそれが武士の本質をはずれて危うさへひきこまれようとも、人々は武士の本質になんらかの想いを託してきた。武士と百姓、そして芸能民などとの協働的な共存は、場所づくりのひとつの範型となるであろう。江戸期以前の世界が、重要である。これからの、日本の自立に、ナショナルな指標とは異なる場所設計の指針を、そこから学びとっていけるのではないだろうか。
 武士制には、非分離、述語制、そして場所制という日本の根本原理が、構造的に歴史形成されてきたということが、見られる。道具技術や言語技術に、それは表象されていく。箸も風呂敷も下駄も、武士制において構造化されて、現在に近いものとなって、世俗化していった。
 武士制は、武士道ではない、あくまで武術と芸術と生活術である。道ではなく、「術」である。オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』は、的を射るな、狙うな、矢がひとりでにはなれるまで待て、「術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである」と師からさとされるが、それでは、誰が射るのだと、主語動作の主体意志を捨てきれないヘリゲル、無心になろうとしているから駄目だとさえも言われてしまう。西欧的な主語意識と、日本的な述語意志/非分離の様を、実によく明示している書である。
 武士の時代に、こういうことが生成的に構造化されていったといえるものがある。武士制を見直すことは、これからの日本を見直すことに直結する。次号でも特集を組む。
 書籍内容
▼ 小和田哲男インタビュー 武士の諸相

▼【共同討議】武士をはからう 関幸彦・本郷和人・黒田基樹

▼ 場所武士制の日本 山本哲士

▼ 風呂の文化誌---日本の風呂 山内昶

▼【連載 中村三春のテクスト文芸学 第2回】
  虚構論と<無限の解釈項>---文芸理論の更新のために 中村三春


▼【カラー特集】<日本刀の文化技術>前編
  たたら製鉄と玉鋼

▼ 韓国の場所 河北秀也
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